川村 卓也
アメリカプロバスケットボールリーグNBAを目指した日本人がいます。
「川村 卓也」がその1人です。
川村は、宮城県出身で、小学校の頃からバスケットボールに勤しんでいました。
中学校の頃は、チームを全国大会ベスト4に導く原動力にもなります。
高校は、引越し先の岩手県の高校「盛岡南高校」に入学し、さらにバスケに磨きをかけます。
3年生の時に、18歳以下のナショナルチームのキャプテンを務め、ジュニア・アジア選手権にも出場します。
そして高校生の川村は、その活躍が、注目され、オールジャパンA代表にも選出されます。
さらに3年時に、FIBAとNBA共催のアジアの若手を集めるキャンプにも選出され、キャンプ内のMVPにも選ばれます。
そして、卒業後は、大学には進学せず、日本の国内リーグでプレーすることを決めます。
ヨウ・メイ
アメリカプロバスケットボールリーグNBAで活躍した選手に中国出身の選手がいます。
「ヨウ・メイ」がその1人です。
ヨウ・メイは、1997年中国の国内リーグに所属する「上海シャークス」に若干17歳で入団します。
国内リーグでは、圧倒的な活躍を見せ、国際試合も含め、海外からも注目されます。
2002年に、NBAの「ヒューストン・ロケッツ」からドラフト全体1位で指名を受け、NBAデビューを果たします。
ルーキーシーズンは、得意のブロックショット、インサイドプレーなどアピールし、オールスターゲームにも選出されます。
以後、ヒューストンに10シーズンプレー在籍し、オンリー1でプレーをします。
2011年に長年度重なった怪我により、現役を引退します。
ヨウ・メイは、身長229㎝あるビッグセンターですが、センターらしからぬ、繊細なシュート力で、得点を上げました。
カルロス・アローヨ
アメリカプロバスケットボールリーグNBAで活躍する選手にプエルトリコ出身の選手がいます。
「カルロス・アローヨ」がその1人です。
アローヨは、アメリカの「フロリダ国際大学」に進学し、カレッジバスケに勤しみます。
卒業後は、1996年から母国プエルトリコに戻り、国内リーグ所属の「ファヤリド・カリドゥーロス」に入団します。
1シーズンプレーしたのち、1998年に同リーグ所属「カングレヘロス・デ・サンタース」に移籍します。
3シーズンプレーしたのち、2001年に「トロント・ラプターズ」にドラフト外で契約します。
NBAデビューを果たしましたが、わずか数ヶ月で解雇され、そのままスペインに1度渡り、プレーしますが、
2002年に再び、NBAの「デンバー・ナゲッツ」と契約します。しかしすぐに解雇され、プエルトリコに戻ります。
国内リーグに所属する古巣のサンダースでプレーしながら、チャンスを伺います。
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アメリカプロバスケットボールリーグNBAで活躍する選手にセネガル出身の選手がいます。
「ハマディ・ウンジャイ」がその1人です。
ウンジャイは、2010年にNBAの「ワシントン・ウィザーズ」にドラフト指名を受け、NBAデビューを果たします。
1シーズンプレーしたのちに、2011年に下部リーグの「ダコタ・ウィザーズ」に降格します。
しかしその年に、またトロントに昇格します。
2013年にNBA「サクラメント・キングス」に入団します。
ちなみに下部リーグとは、NBAデベロップメント・リーグ、通称Dリーグとも呼ばれ、
将来のNBAになる選手を育成するために設けられたリーグであります。
またウンジャイは、ポジションは、センターで、身長213㎝でセブンフッターと呼ばれます。
NBAシャーロット・ホーネッツ
NBAウエスタンカンファレンス、サウスウエストディヴィジョンに「ニューオリンズ・ペリカンズ」が所属しています。
ペリカンズは、ルイジアナ州、ニューオリンズに本拠地を持つチームです。元は、1988年に「シャーロット・ホーネッツ」としてノースキャロライナ州、シャーロットに
本拠地を持っていたのですが、2002年からニューオリンズに移り「ニューオリンズ・ホーネッツ」として再スタートし、さらに2013年からは、オーナーが変わり、
今の「ニューオリンズ・ペリカンズ」に改名されます。
シャーロット時代は、「ケンドール・ギル」、「ラリー・ジョンソン」、「アロンゾ・モーニング」など毎年、有力な選手をドラフトで加入させてき、チームを強化していきました。
その後、それらの選手は、チームから離れますが、「グレン・ライス」、「アンソニー・メイソン」、「ブラッディ・ディバッツ」などの中堅の手堅い選手が加入し、勝率を
上げていきます。しかし、カンファレンスファイナル、NBAファイナルに進むチームには、なれませんでした。
2002年、ニューオリンズに本拠地を移してからは、再度、「ジェイマール・マッシュバーン」などの中堅クラスの選手でチーム強化を試みますが、5割以下の成績が続きます。
まさにジャーニー
アメリカプロバスケットボールNBAで活躍したフランス人のジェローム・モイソの話です。
何と5シーズンの間に5チームを渡り歩いたモイソは、さらに渡り歩きます。
2006年シーズンに舞台をNBAからイタリア・リーグに変えます。
2006年シーズンにイタリアリーグの「ヴィルトゥス・ローマ」に移籍しますが、すぐに「フォルティトゥード・ボローニャ」に移籍します。
2007年シーズンは、さらに舞台をスペインに変え、スペイン・リーグの「レアル・マドリード」に加入しますが、
すぐ後に、「ホベントゥットゥ・バダローナ」に移籍し、1シーズンプレーします。
2008年に「ヒムキBC」に移籍しますが、すぐバダローナと再契約します。
2009年シーズンから「CBビルバオ・ベリー」に移籍し、現在に至っています。
モイソは、まさにジャーニーマンと言って良いくらに、世界を渡り歩いています。
ケビン・セラフィン
アメリカプロバスケットボールリーグNBAで活躍する選手にフランス出身の選手がいます。
「ケビン・セラフィン」がその1人です。
セラフィンは、フランスリーグのユースを経て、2008年フランス・リーグの「ショレ・バスケット」でプロデビューを果たします。
フランスでは、2010年までプレーし、2008年シーズンには、アベレージ4。6得点、3.5リバウンドをマークします。
2010年シーズンよりNBAの「シカゴ・ブルズ」に1巡目でドラフト指名されますが、すぐに「ワシントン・ウィザーズ」に
トレードで移籍し、実質的には、ワシントンでのプレーが、NBAデビューという形になります。
2011年には、NBAがロックアウトになりますが、その間は、プレー場所をスペインに変え、1シーズンプレーします。
2012年以降は、ワシントンに戻り、NBAでのプレーを再開し、現在に至っています。